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このWebサイトは楽心館の「古武道の学び」をお伝えするWebサイトです。


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入門体験記


楽心館入門させていただいて


2016年5月
櫛田様

はじまして、櫛田と申します。楽心館に入門させていただき半年がたちました。


 
自分は、子供のころより、強さに憧れていました。子供のころに空手や柔道がやりたかったのですが、道場がなく剣道をならいました。しかし、剣道は剣がなければ戦えないと思いがあり、十代後半から中国拳法を学びました。中国拳法は、形がおおく実際殴りあわなけれ強くなれないと思い空手の道場に通い始めました。
空手道場の黒帯は、本当に強く衝撃的でした。強い黒帯の先輩は、空手の選手で自分も、試合というものにのめり込んでいきました。
 体の細かった自分は、技を磨くと同時に、体を強く大きくすることで、試合にも勝てるようになり、強くなっているという実感が持てました。体が大きくなるにつれて、交流試合優勝2回、県大会準優勝と結果がでました。だからこそ、力への信仰が強くなりました。
試合に勝つにはスピード、スタミナ、反射神経などとても重要だとおもっていました。

 
しかし、三十代にはいると力強さや、スタミナが落ちてきて悩みました。選手として引退すると、目的や憧れが変わり始めました。
 
 
喧嘩に強くなりたいから、チャンピオンになりたいに変わり、本当の意味で達人になりたいと思うようになりました。
 
 
達人になるには、形が重要だと思うようになりました。型通りに、実戦で使えるようかになること!
しかし、実際に型通りに使えるのは、中々難しいと思うようになりました。
その時に武器術、居合いに興味がありました。自宅の近くに居合い道場を探しました。一度見学に行ってみようと決めた切っ掛けは、両親が福島出身で会津というキーワードで楽心館を選びました。
 
見学させていただいた達人は、石川先生でした。見学の時、石川先生は思い切り力を入れて拳を作ってみてとのことでした。
 
選手を引退して十年たっていましたが、自分なりに空手の稽古と、ウェイトトレーニングを続けていたので、自信がありました。自分より、体格の劣る人に負けるわけがないと思っていました。
 
それが、どうでしょう。力が入らず、簡単には投げられてしまいました。小手返しという技でした。
後日きいた稽古での説明では、相手の肩を抜き、体軸を崩すということでした  分には、とても衝撃的でした。びっくりしました。
 
 
力に力で対抗するのではなく、征する術が本当にあるんだ!
 
感動しました。

もし、自分の出会いが逆で、剛の武道から始めていたら、わからなかったかも知れません。先生は、力がとても強い人なんだ!と勘違いしていたかもしれません。しかし、パワーやスピードに頼っていた自分には、わかりました!
この先生の武術は、力に力で対抗し、ごまかしているものではなく、武術という技術なんだということが!  先生のお話しをお聞きし、剣術の理と柔術は、剣柔一体とのことでした。
 
自分は、居合いだけを習うつもりでしたが、これは両方学ばないと、成長が遅くなると思い居合いと柔術を一緒に学ぶことにしました。
 
 
入門させていただいて半年がたちますが、今まで学んでいたこと、武術として大切な部分を自分の我の為に、聞きのがしいていたことに気が付かされました。
自分ができていると思っていたことは、本当の意味ではできていなかったのです。
自分の我が本当の武術の形を歪めていたのです。
 
近すぎる怖さ、慣れが、自分の成長を妨げていたことに気づかされました。
スピードに頼っていた技は、加速で相手に違和感を感じさせ、反応させていました。
力に頼っていた技は、その力ゆえに感ずかれてしまうとのことでした。
接触、三角つくる、身をいれる、等速の動きなど初めて聞くことばかりでした。
先生の教えていただいていることが、自分にもできるようになれば、年をとって力に頼らない技がもてる。女性や、子供、力の弱い人が体格の大きな人にも、技をかけられると思いました。  先生から教えていただくことは、武道の基本的なことや、奥の深さでした。
 
自分も、気剣体一致、剛柔相在を目指し、いずれは自分が子供の時、近くに道場がなく学びたかったけど学べない人や子供に、学ぶ機会をあたえられるようになりたいと思います。
 
 
まだまだ始めたばかりですが、他人と比べることなく、常に自分の成長と、一緒に学ぶ方の成長を意識しながら、初心と好奇心を忘れずに楽しみながら、石川先生のような達人を目指したいと思います。

 
よろしくお願いいたします。


令和2年4月22日に、櫛田昌之指導員はご逝去されました。4月26日ご葬儀でしたが、武漢ウイルス感染防止のため、ご遺族の密葬となりました。

5月17日 私他2名はご実家を訪問し、ご焼香させていただきました。その際、お母様が「昌之の東京・千葉での生活の様子を知りたい」と希望されました。
そこで、写真集を作り追悼文を添えさせていただきました。

楽心館長 石川智広